2011年08月22日

もう終わりだけー、無駄?

身の回りに老人が増えました。当人の私も目下81歳をめざしてまっしぐら、増えたと感じるのは当然です。
ところがもう何をしても時間がない、役にはたたないと、勉強も努力もしない人が多い。死後の後生安楽を願って信心三昧、昔は多かったですね。でも社会が進歩して情報が充満し、知識吸収の機会は山積みしているのに、遊びに、旅行に、信心に、と後ろ向きに走るだけなのは間違っていると思うのです。

先日、牧柵の修理のため、冬の間に切り倒して小切ってあった(必要な長さにきること)栗の木を取りに行きました。土の上に転がしてあった木を持ち上げると、裏側に数本の枝が伸びていました。そして新芽が出て葉が開き始めていました。
いままではごく当たり前と思っていた現象でしたが、その時は違っていた。これは自然からのメッセージかもしれないと思ったのです。

世間一般では、定年がきてリタイヤすると余生を楽しむとて後ろ向きになる人が多いなかで、私の男の同級生でただ一人生き残っている的場くんも、そして私も、まだ現役で仕事をしている。貧乏といえばそれまでですが、旅行だ、レジャーだと残りの人生を楽しむだけに使っている人が先立って行く。
70年あまりもつきあった的場くんの顔を見るたびに、自然の教えはそうではない、最後まで全力を尽くしなさい、それが無駄であってもと、訴えているようです。

根のない丸太の生き残る可能性はゼロに近い、たとえゼロでも前向きの努力をしなさい、仕事も勉強も許す限りの全力を尽くしなさい、これが自然の生き方なのですと。

私の人生の指針は自然、見浦牧場のモットーは

”自然は教師、動物は友、私は考え学ぶことで人間である”

人称して見浦教。

長い人生で起きた様々な出来事の中で、私は自然の理を参考に生きてきました。でも終わりの生き方は目下勉強中。その中で気付いたこの現象は、大きな自然の教えなのかも知れません。
最後まで人間らしく生きる、そのためには無駄と思えることもけっして無駄ではないと。

一本の丸太が教えてくれたこと、私の頭は、大切なことなんだ、徒労ではないんだと、繰り返し訴えています。

長い人生の迷い道で何度も正道を教えてくれた自然、間違っているはずはない。これからも迷いながら残りの人生を歩いてみようと思っています。

2011.5.31 見浦 哲弥
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2007年06月11日

座右の銘

 見浦牧場の事務所を覗いてください。
乱雑に取り乱した室内の壁に色あせた標語が貼ってあるのが見えるでしょう? この標語が私達の生き方、この牧場の考え方の基本なのです。今日はその話をしましょう。

 その中で1番大切にしているのは“自然は教師、動物は友、私は考え学ぶことで人間である”です。
 もう随分昔になりますが、可部の中学校の先生が立ち寄られました。壁のこの言葉を見て共感する所があったのか、誰の言葉かと尋ねられました。私が考えた座右の銘ですとお答えしたら、たいへん感心されました。

 しかし、この言葉はいまから40年余り前、この牧場をはじめた頃、何も知らない私が思い悩んで思考錯誤し、様々な人達の意見を聞いて、色んな本を読んで、ようやく辿り着いて出来あがったものなのです。

 この世の中では、一つの事柄でも立場が変わると正反対の答えがでる、そんな事が多くあります。これでは新しい農業の道を探すのには役に立たない、とくに市場経済と呼ばれる競争社会の中で生き残る事は不可能だと思ったのです。没落した見浦家では資本の大きさで競争に打ち勝つ、という方法は取れませんでした。

 残された道は人の1歩先を歩く、それしかなかったのです。そのためには多種多様な意見や情報を取捨選択しなければならない。その基準になる物差しがあれば、私のような人間でも正確な判断が下せるのではないかと。

 その物差しは何にするべきか、悩みに悩みぬきました。わたしの経済の指針、マルクス、ケインズの天才をしても完璧な理論にはなり得なかった。人間は神ではないと歴史が証明しています。私のような無学な者でも理解が出来て、絶対に間違いのない基準、それは何か、何ヵ月も考えましたね。
 そしてある時、ふと思ったのです。私達は自然の中で生きている。自然を否定しては存在しない。ならば自然の法則が絶対の基準ではないのかと。

 たとえば、草花は、種をまき、芽が出て、双葉が開き、根を張り、茎が伸び、葉が茂り、花が咲く。そして実がつき、種を落として、枯れて土に帰る。その過程のなかでの開花なのです。ところが花屋の店先では何時でも美しく花盛り、お金を払えばどんな花でも手に入る。スーパーに行けば、お米も野菜も果物も様々な商品が何の前置きもなくすぐ買える。こんな便利な社会に住んでいると物事の本質が見えなくなる。仕事も生き方もね。

 私が牧場を始めて数年後、一人の青年が訪ねてきました。米作りは限界がある、だから畜産をやりたいと。畜産は何を考えているのかと聞くと豚を考えていると。
 当時、戸河内では3軒の農家が養豚で安定した経営をしていました。そこでまず手作りで小さな豚舎を作り、2−3頭からはじめろとアドバイスをしたのです。
 ところがそんな事では何時になっても豚で飯は食えない。今は資本主義の時代、金がないのなら借金をしても大きくやるべきだと、無責任な発言をする親類がいて、おまけに餌さえ売れればの餌屋が種豚も技術も提供すると申し出たから大変、立派な豚舎が建ち、種豚が30頭入るのに時間がかかりませんでしたね。
 ところが、相手な生き物。1頭1頭が扱いが違う。病気にもなる、怪我もする。回りがああだ、こうだと言っても経験のない者には対応できるわけがありません。思惑どうりに行かなくても、銀行も飼料屋も取り立てには容赦ありません。こんな筈ではなかったと気付いた時は、もう蟻地獄、長年続いた旧家も破産する道しかありませんでした。

 10年余り経って彼が来ました。「見浦さん、わしが間違っていた。貴方が正しかった。」そう言った寂しそうな姿にかける言葉はありませんでした。長い反省の末だとは思いますが、失った人生は2度と帰ってこない。2ヶ月後病で死んだ彼は、まだ40代の初めでした。

 自然の中で生まれ、田舎で育った彼が、その自然から何も学んでいなかった。花屋の店先で咲き競っている花々には生きて行く為の根がない、華やかだけど短い命の仇花だと言う事が理解できなかったのです。
 自分で豚舎を建て、2−3頭から飼いはじめる。そして失敗や体験の中から学んで行く。それは、植物が根を張り、茎を伸ばして、葉を茂らせてからでないと花をつけないのと同じだよと教えたのに、彼にはその意味が理解できなかった。残念でなりません。

 自然の真理は身近にありすぎて、見落としている人が多いと思います。私がそんな基本から話しを始めるようになったのは、この小さな集落の中で、いくつか同様なことが起きてからなのです。
 でも「そんな事は誰でも知っている。馬鹿にするな」何度も叱られましたね。同じ話に真剣に耳を傾けてくれる様になったのは、私が老境に足を踏み入れてから。世の中はままならぬものです。

 今日は見浦牧場の基本の話をしました。この続きはまた次の機会に。

 最後にもう一度。「自然は教師,動物は友,私は考え学ぶことで人間である」

2007/1/10 見浦哲弥

    
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2003年06月10日

魚と事業

こないだ、郵便屋さんがきたんよ。
ほいで、ちょうど魚釣りするところを通っての。

そいから、
「魚釣れますか」
「いや、釣れんよぉ」

そいから、魚釣りの話になっての。
「そいで、みうらさん、魚を釣りんさるんかい?」
「わしゃぁ、釣らんのんよ、突くんよ。はぁ、24ぐらいまでやったかの。
ほいじゃが、魚突くのものぉ、実際仕事をやってみりゃ、仕事にものすごぉつながっとっての。」
「えっ?わしも魚を釣るんですがの。」

「わしゃぁ、あんたぁ、
魚が、ひらべ(注:ヤマメ)が、岩のところへぱっとはいっていくのを見つけるでしょうが。
ホコをこう、持ってく。
持ってくが、魚の真ん中ねろうたら、まずあたんねえ。
ぱっと突いたら、水の振動で、もう魚は知ってから、前へさあっと逃げる。
そうすると、こう、身構えといて、
どのぐらいのスピードで、前へどのぐらい出るちゅうてよんで、胴体じゃなくて、鼻先にたーんとやらにゃあ。
魚が逃げた後を突いたら、せっかく研いだホコの先はわやったれになるわ、魚は逃げてしまうわ。

そうかゆうて、前へ前へいくばっかりかゆうたら、
わしゃあ、こまい(注:小さい)ときに、手長えびっていう、河口なんかにおる大きなえびを捕りよったけども、
あいつは前へいかずに、後ろへいくんじゃ。ターンと後ろへ飛ぶんよ。
後ろのどの角度へ、どっちへ飛ぶかいうて、こうタモを持ってっといてから、前へたーんとやると
ぱーっと、タモへはいるんよ。

ほいで、わしゃ自分で仕事をするときに、今牛が儲かるけえ、牛をこうて儲けてやろう、という考え方は捨てたんですよ。
何年か先、何十年か先をターゲットにして、そのターゲットへいくためにどうすりゃぁええか、ちゅうことを考えて歩いたんよ。

今みたいに経済変動が激しい時代にゃぁ、やっぱり、胴中狙うてあたるわきゃなぁんじゃけぇ。
みんなが胴中狙うんだったら、やっぱり、一歩先をねらうか、この、相手の魚がどっちへいくかちゅうのを読んで走るほかにゃぁ手がない。」

そしたら、いうことがええわぁ、
「あれでも、わしも、魚を釣ってやりましたが、そこまで考えたことはありませんでした。
魚釣って、”ああ、釣れたあ、おもしろい”、それだけだったんですが、
そういやそうですのぉ、やっぱり、そういうことになりますのぉ。」

それがタイミングじゃけぇ。事業ってのはそうだけぇの。
自然の中に、ものすごい教材がえっと(注:たくさん)あるのに、みんな、みな見落としとるんじゃけぇ。

そいで、そのときに郵便屋さんが、
「わしゃ、魚釣ったが、まさかそがぁなことに結びつくこたぁ、思うちゃおりませんでしたが、
なるほど、いわれてみりゃそうですのぉ。
今、よそでこれを売りよるけぇちゅうて、同じものつくったんじゃ、だめなんですのぉ。
そりゃ売れるわけがなぁですのぉ。
空ばっかり突きよるんだけぇ、あれで儲からんのでさぁや。」

2003/4/29 見浦哲弥談


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2003年05月29日

育つ木

……

そりゃぁの、わしらぁみたいに、自然の中で暮らしとるもんには、あったりまえなんだぁや。

なしてあたりまえか、ゆうとの、まあ、むかしゃぁ、稲の苗をとるときに、苗をとって洗うんだがの、今、植物抜いての、こう、洗やぁええんよ。根っこを。

そうするとの、よう伸びるやつは、白い根がいっぱい出とる。そいで、伸びないやつは、黒っぽい、赤っぽい根があるだけで、白っぽい根がないんじゃ。そりゃなしてか、ゆうたら、養分を吸う、窒素や燐酸、カリ、それから、水分やら吸うのはの、細胞膜通して吸うんだぁや。古い組織や古い細胞の表面から、よう、中へいっそ吸収せんのんよ。ほいじゃけぇ、養分を吸うのは、常に新しゅう伸びた根しか養分が吸えんのよ。

ほいじゃけぇ、よく伸びる木は、いっぱい根を、目には見えんでも、絶えず根が伸びよる。絶えず努力しよる。絶えず知識を吸収しよる。それは根が伸びとりゃ、ちょっと手をやれば、立派な木にもなるし、立派な仕事も出来るんよ。

ところが、なんぼぅ上の木が立派でも、下の根が伸びん、白い根がないようなものは、はぁ、枯れるばっかりなんだけぇ。

ほんだけぇ、わしゃぁ、今のサラリーマンでも、人でも、もっと、自然を、、わしらぁ、自然の中で、淘汰され、進化し、こうして生き残ってきたんだけぇ、自然の規制をものすご、受けとるんよ。その規制の中で、生き残るやつと、生き残らんのが分けられよるんよ。

だけぇ、もっと、自然ていうものを、もっとみんなが見て、そんなかから物事を学びさえすりゃぁ。ぽーっとしとるやつぁ、枯れるにきまっとるんだけぇ、あんたぁ。

そりゃぁ、「わしゃあ、そこそこでええよ」、ちゅうなぁ、はぁ、1年か2年か、木は立っとるけど、大部分が化石じぇけぇのぉ。ありゃぁ。中は化石なんじゃけぇ。

生きとるやつはへりの形成層の下へ、わぁーっと、水を吸い上げて大きゅうなりよる。そいだがまぁ、養分を吸わんようなやつぁ、もう、形成層がだんだんなくなって、いっぺんにはなくならんけど、すぐに枯れるなぁ、はぁ、決まっとるんじゃけぇ。

ほんだけぇ、自然の中でもっと、みんな、もっと自分を見つめてみる。どんなに理屈をゆうても、自然に逆らうことはひとつも無いんじゃもん。

ほんじゃけぇ、サラリーマンだろうが、なんだろうが、組織の中で生き残ろう思うたら、その原則に従わにゃぁ、生き残れんのよ。

2003/4/29 見浦哲弥談


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2003年05月04日

ミツバチが教えてくれたこと

去年、おがくずが積んであったトラックの荷台にニホンミツバチが巣をつくったんよ。そのままじゃぁ、やれんけぇゆうて、巣箱をつくって、引越しさせたんや。しばらくはせっせと蜂が出入りしよったけど、そのうち全滅してしもうた。かわいそうに全滅してしもうたのぅと思うとったら、また、あたらしい蜂がきての。

情報を調べてみたら、蜜道のにおいがしとるとやっぱり入りやすいんだって。ほいで、秋の寒うなってからきやがったんで、こりゃぁ、その、冬が越せるか越せんか、問題じゃのうと思うて、ほいで、蜜をいっしょうけんめいやったよの。それが今は言語道断におおきゅうなって、わんわんやりよる。それみて、頭が働いたんよ。

あー、人間と同じやな。集団、特に日本人は一人じゃなくて、何人か集まらにゃできんけぇの。
集団があんまり小そうちゃあ、エネルギー発揮せんのや。自己増殖していかないんだ。あんまり小さくなってくと、どんどん小さくなっていく。

ほいじゃけぇ、どんなにつろうても、ほんとに大事な人材は、ある程度の数、もう、利益が出んでも、赤字が出んこう、つぶれさえせん限り、かかえていかなあかんのやなと、それをトヨタのやろう、知っているな、と、わしゃ思うたね、それ見て。

あんまりちがわんのんよ。おんなじ蜂が、おんなじ箱ん中はいって、ほいで一生懸命次々孵るんよ。卵産んでの、新しゅうどんどん出てくる。出てくるんだが、倒れていくほうが多い。

ほいじゃけ、経営する場合、一番大切な、今、日本みたいな会社は、資本で人材が一番大事なんね。人材のスケールをある程度まで落としてしもうたら、もうだめなんやな。

もうひとつは、信弥さん(注:弟)がいいよったように、分散してしもうたら、エネルギー発揮せん、たぁ、そのことなんやな。ある程度優秀な人間、一箇所に集めて、1つの集団つくるとそれが増殖し始める。

あー、蜂のやろう、こがぁなことを教えてんだ、と、こないだ、わしゃ思うた。すげえなぁ。

……

ほんで、こないだから、蜂をじーっと、わしもあそこを通ったら見よる。ほんで、出てきたら、ぴゃーっとある方向にいくんよ。

たしかに、こんなやつらは、この方向にあるよっちゅうのは、教えられるに違いない。
あとは、それでも、こんなやつらは、教えられたらその方向へいって、花を探して、蜜ひろうて、戻る。
これは全部教えちゃぁおらんぞと。教えよらんぞと。
それから、すりこみでもおそらくないぞと。

ちゅうのはの、この冬でも、ニ十何頭、三十頭ちこう、お産があって、今朝も2つお産があって、ひとつは乳をつけたんだけども、見る間に学習してくんよ。どこにお乳があって、で、体をどういう風に固定をして乳を吸やぁええかっちゅうのを、はじめあたったら、すぐ学習してくんよ。

ところが、中に学習できんやろうがおるんよ。
なんぼぅやっても、やっても、わしゃぁこうですよ、ゆうての。

ほんだけぇ、今から生き残る企業やっても何やっても、生き残るものは、人を育てるっちゅうけども、
もともと、ないものは育てられねぇや。

ほんだけぇ、まず、一番基本は、そがぁに飛びぬけとらんでもええけぇ、いわゆる、自分で学習していく能力を持っとるやつを探して、まず集める。
ほいで、優秀な奴つけて、そいつをひとつの集団になるように育てていく。

それしかにゃぁ、手がないんや。はっきりいやぁの。

2003/4/29 見浦哲弥談


<オリジナル音声はこちら その1 その2>


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