2016年01月13日

紅葉の頃

今年も山々が色付きはじめました。観光資源の少ないこのあたりでも、晴れ渡った青空と見渡す限りの紅葉の景色は、都会人には格好の観光材料なのです。
地元で暮らしている住民は残り少ない好天をいかに有効に使うかと懸命なのですが、三々五々風景を楽しむ都会人を「ええことよの」と羨望の眼で見送るのです。

でも誰もお互いに話しかけない。住民も観光の都会人も、ただ通りすぎるだけ。せいぜい目礼をするのが精一杯か。何故なんでしょうね、同じ言葉を話し、同じ教育を受け、同じテレビを見ているのにね。

幼年期を都会で過ごした私には、その垣根が見えないのです。ちょっとしたきっかけがあれば、ちょっとした会話をすることにしています。それが大変喜ばれる。なぜ皆さん、それに気がつかないのか、私は不思議に思うのです。
確かにこの地方には方言がありました。広島弁も独特ですが、その上にもう一つアクセントの違いがありました。当時は小学校から標準語で話せと厳しく指導されていたので、心の中に地元の言葉に劣等感を持つようになったのかも知れません。

方言は地方、地方に存在します。私が生まれた福井市と育った三国町ではアクセントに違いがありました。転校した小3のときは言葉の意味が理解できなくて困ったものです。でも同じ日本語なんだから、すぐなれて話せるようになる。私が方言に抵抗感がないのは、そのせいだと思っているのです。

現在の日本人は誰でも標準語を話します。でも小さい時から地域の方言に親しんでいた地元の老人は都会人と見ると標準語でと身構える。それで話の範囲が狭まるのです。それを聞かされるほうは興味が薄れるのは当然でしょう。

道端で作業をしていると話しかけてくる都会人がいます。田舎の風情を楽しんで歩く人は見ているだけで心が和みます。そして一言、声をかけると大抵は答えが帰ってくるのです。そして話が続いてゆく。小さな山間の高原にも歴史があります。取るに足らないような話でも、それが都会人の知識と関連してくると、俄然興味が湧いてくるのです。例えば聖湖の湖底に沈んだ樽床部落は平家の落人の末裔とか、同じ三段峡の支流の横川は樽床の人とアクセントが違います、さて?とか、それから小板は尼子氏と吉川氏の古戦場で地域の中の地名の戦いの後が偲ばれるとか、眼前の深入山は死火山で小板川の川底を見るとその片鱗が見えるとか。
ただ何となく散策するのと、それなりの知識を持って歩くのとは風景も変わって見えるはずです。それを提供するのは小板に住む住民の小さな責務と思うのですが。

紅葉の頃は柴栗が落ちる頃、市販の大栗とは違った味の濃い柴栗の季節は、山からのささやかなプレゼントです。小板の山がまだ柴栗で覆われていた頃、栗拾いは重要な秋の仕事だった。何しろ一日の20リットルから50リットルも拾う、水につけて虫を殺して乾燥して仲買人に売る、立派な収入源だったんだ。
それが或る年、クリタマバチがやってきた。あれはまだ新緑の頃だったね。八幡の方から栗の木が枯れ始めたんだ。それがクリタマバチ、新梢の芽の根元に卵を産み付ける、孵化した幼虫は樹液を吸収しながら成長する、だから樹液の行かない新梢は枯れてしまうんだ。そして幼虫が成長するにつれて、その部分が玉になる。それでクリタマバチと呼ばれるんだ。新梢が伸びないから葉が出来ない、辛うじて葉になっても小さな葉で幹の栄養を補えない、そして枯れるというパターンだった。見る見る柴栗が枯れて山が茶色になった。これで柴栗は全滅かと思ったんだ。
ところで、その当時は「進化」という現象は専門書の中だけと思っていたが、現実にその存在を見せてくれた。栗の木の中に枯れない木が出てきたんだ。クリタマバチに寄生されても虫頴(幼虫が住み着いた幼芽)が大きくならない。そして幼虫が死んでしまう。そのほかクリタマバチが寄生しない木もあったんだ。特に栽培する大栗は強かったね。

そんなわけで生き残った柴栗のおかげで今年は例年になく豊作。勿論、全盛期には比べようがないが、道端のそこここに栗が落ちている。都会人が大喜びする自然がそこにある。10月10日は恒例のウォーキング、色づきはじめた風景と木の実が都会人を満足させるだろう。

2015.10.8 見浦 哲弥
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2012年09月21日

蛙の声

2011.4.23 今年始めて蛙の声を聴きました。小さな声ですがケロケロの声はやっと春が来たと告げていました。

2−3日前、10センチにも及ぶ積雪があった今年の冬、何もかもが異常で死者まで出した豪雪、誰も彼もが一日も早い春の到来を望んだのに足踏みの連続、桜前線の北上も小板では他国の話でしたが、やっと蛙が鳴いた、やっと。 

蛙といえば昔は田圃に水を入れて田仕事が始まると大合唱が始まったものです。盛りの夜はうるさくて眠りが妨げられた。水田が1/10にも減った現在では蛙は場所を探すのが大変で、見浦牧場の牧草のロール置き場の水たまりは彼等には格好の場所に見えるのでしょう。おびただしい産卵、オタマジャクシと続くのです。子供達が大喜びで騒ぐ、豊かな自然があった昔の田園は彼等生物達の極楽だったのですがね。

ところが過疎化と転作で水田が激減、蛙も泥鰌(ドジョウ)もメダカも姿を消したのです。 

そして見浦牧場の水溜りにオタマジャクシが現れる。それが春の好天が続くと水が干上がって全滅する。見かねて水を汲んだりするのですが、春は本業の牧場が忙しい、いや忙しいのを越して多忙の連続、気がついて見に行くと全滅している。オタマジャクシとは言え命の消滅は厳しいもの。小板の自然も変わりました。

ところが、加計の吉水園で有名なモリアオガエルは増えました。この蛙は水たまりの上の草や木の枝に、真っ白い泡を作って、その中に卵を産み付ける。その泡の中で卵が孵化して、小さなオタマジャクシになり水に落ちて育つ、独特の生き方を持っている、これが吉水園では池の上に花が咲いたように卵が産み付けられる。それで有名なのですが、見浦牧場でも大小二カ所の池で見られるようになったのです。昔は時折田圃の石垣に見られるにすぎななった現象が、本当に花が咲いたように無数にぶらさがる。

運良く孵化する直前に出会うと水面に差し出た枝は白い花が咲いたよう、自然の妙とはいえ見事な眺めです。純白で綺麗なのは数日ですがね。この蛙は増えたのだと思います。

しかし、身近の風景をよく見ると、子供時代は当然の事と受け入れていたことが激変しています。

蛇が少なくなりました。餌の蛙が減ったのが原因でしょうが、草むらの中の”グッ、グッ”の声をたどってみると、蛙が蛇に飲み込まれている最中なんて事もよくあったのです。そんな光景は、もう何十年も見ません。ところがマムシはよく見ます。例年家の回りで4−5匹は殺しますか。多い年は10匹以上、毒蛇なので噛まれたら大変で入院する騒ぎになります。生きたまま一升瓶に入れて焼酎を加えて蝮酒(マムシザケ)を造ると言う友人もいましたが、噛まれて予後が悪く死んだなんて事もあって、もっぱら見つけたら殺す事に精出していますが、増えた気がします。住人が減って蝮酒製造業者がいなくなったせいでしようか。

この地方は蝦蟇蛙(ガマガエル)が多いのです。松原の高等科に通う頃は雨降りの日は必ず道の中に”ドンビキ”(がまがえる、蝦蟇蛙の事)がいました。小さくても背中のイボイボが気持ちが悪いのに、時々巨大なのが現れましてね。のっそり、のっそりと歩く、動作が鈍いものだから自動車に潰されたりして。卵も独特、林の中の水溜まりに長い紐状になって産み付けられていました。

この蛙も珍しくなりました。もう何年も見ていません。そして卵も見かけることはなくなりました。

土日にもなれば整備された道路を都会人が散策する。ウォーキングあり、サイクリングあり、アマの写真家も歩く。藁屋根はなくなり、モダンな別荘が散見されて風景も変わった。従って足下の蛙君の生活が変化したのは当然かもしれない。変わっていないのは深入山だけ。

昔は遠くなりました。あの蛙の大合唱はもう一度聞いてみたいですね。

2012.6.6 見浦哲弥
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2012年02月11日

今年の熊君

2011.8 草刈りをはじめて今年も熊君の動向が見え始めた。
昨年は2頭が捕獲処分されたのに、どの装置も熊君の行動の痕跡がある。幸いで会うことはないが寝床あり、熊道あり、前日の刈り草の上に脱糞ありで、ごく身近に彼の視線を感じている。
最近は脚力の衰えと視力の低下でトラクターの上とはいえ、やはり恐怖。我が見浦牧場のトラクターはキャビンがない。最高50年前の年代物から2−30年の車歴を誇る強者たちだからキャビンなる高尚な設備はついていない。もちろんヒーターもステレオも影も形もない。
したがって熊君に襲われたら作業機を振り回して抵抗しようと心に決めてはいるが、昨年はトラクターの直前を横断され、「何、熊か?」と驚いたのだから、作業中も進駐は穏やかではない。

今年は深入山ブドウ谷居住の熊君の行動が激しい。旧スキー場から氏神様の裏までが彼の行動範囲らしい。大体熊のけもの道は曲がりくねっているのが普通なので、この熊は斜面を直進している、私もはじめて見るタイプ。獲物をとらえるには効率的だろうがこちらの恐怖心は増す。

一方、刈尾山、六の谷居住の熊君は行動がおとなしい。もちろん隣接の見浦牧場の放牧場に痕跡は認められているが、牛群の動きは穏やか、やや安心して作業ができる。とはいえ藪の中に入る勇気はない。もうすぐ秋、茸の季節だが指をくわえて傍観するしかない。

例年、道戦峠を越えて旧分教場付近に現れる刈尾山甲繋(コウツナギ)の熊君の消息は聞こえてこない。最近隣村の八幡地区で熊に襲われたと聞くから、今年は餌場を変えたらしい。
最も昨年捕獲されて射殺されたこの地区の熊は長年この地区に出没していた、巨大で年功の熊君だったそうで、後継の熊君はまだ知識の浅い若者かもしれない。

この他、三段峡餅の木付近から小板川に沿って遠征してくる熊君の消息は聞かないから今年は小板地区に出没する熊君の総数は2頭、例年に比較すると静か?である。

最近の新聞報道は、熊の生息数が増えたので来年は捕獲頭数を増やすと報じていた。私たちが熊君が増えたと感じたのはもう10年以上も前だから、都市近辺にも出没するようになってようやく行政が動いたというところだろうか。
熊君が生きていくには5キロ四方とか20キロ四方が必要との説があるが、小板地区のように捕獲して駆除されると翌日には次の熊が着任するというのは、以上な増え方といえる。自然保護と声高なNGOの連中もRCC(広島のTV局)での私の主張には耳を傾けたらしく、最近は山にドングリを撒く運動もしている由、しかし大食漢の熊君の胃袋を満足させるのにはほど遠く、依然として身近に熊君を感じている。

この地方は自然がいたるところに残っていて、都会人が散策をするところ、ウォーキングの人、マイカーの人、道端で不用意に藪の中を覗く人が多い。
熊君の友人?を自認している私にすると、不注意に過ぎないかと心配する。そこに食物連鎖最高位の熊君が身構えていたらどうするのかと、余計な一言の声かけをしているのだが、事故にならないことを祈るだけ。

幸い、ここ2年は事故がない、と思ったら問題発生。出荷した肥育牛にクレームが発生。解体したら、スポット(内出血)があると連絡が来た。ところが原因が思い当たらない。全員で考えていると、和弥(経営主)が、そういえば放牧地の牛群の動きが少しおかしい。熊か?と意見が出た。
さては、とスポットの出た牛舎に行ってみると、隣接する防風林の中が茂りに茂って格好の目隠しになっている。熊君、これを利用して牛舎を訪問、牛を脅かしていた。

あわてて藪刈りをして、不要木の伐採をして熊君の警戒心に訴えた。
おかげで来訪は途絶えたが、今度は旧国道の路上に脱糞を発見、次はどこに現れるかと戦々恐々。もっとも9月にはいって早生のドングリが落ち始め、食べ物が増えた。今年は柴栗も豊作なので積雪までは大丈夫かなと思っている。

以上、熊君の友人?見浦牧場からの報告です。

2011.9.5 見浦 哲弥

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