2006年08月19日

愛国心を考える

 牛と暮らしていると、家族とは何かと考えることがあります。当たり前過ぎて見逃していることも、目のまえで繰り広げられる、牛達のドラマに付き合っていると、世間一般の常識からはなれた考え方になります。ですから、なぜ皆さんはそんな考えをするのかと、思う事が多いのです。その一つに愛国心があります。

 牛はお産の前の破水のとき、床の上に流れ出た羊水をなめて飲みます。ほとんど例外はありませんね。そして子供が生まれると、同じ匂い、同じ味を確認して子牛をなめ始めるのです。そして舐めるにつれて猛然と愛情がわいてくる、時には飼い主にも敵意を持つ、私の子供にさわるなとね。それを見ている私達は、家族の意識、連帯感、そして異性愛とは異なる愛情、そんな感情を理解するのです。

 私の牛群たちは、集団で暮らしています。群飼育と言うのですが、彼らが日常では互いに争うこともあるのに、危険が迫った時など、見事に団結する、すごいなとおもいます。
 何年か前、猟犬がイノシシを追って牧場に入ったことがあります。気がつくと、牛が大騒動をしていました。すわ何事と眺めると、近所の猟師が連れた3頭の猟犬が、子牛を追いかけています。猟師の話によれば、2キロほど離れた道戦峠で猪の足跡を発見して追跡しているうちに、牧場に入ったといいます。犬達は、そこで子牛の集団を発見して、追跡の相手をかえたのです。興奮した犬達は主人の制止にも耳を貸さないで、悲鳴をあげる子牛を追いかける、それを守ろうと母親が走り回る。すると、それに気づいたリーダーが、群を集め始めたのです。子牛を中心にして、育成牛と呼ばれる若者の牛、お母さんに成り立ての若い牛、と群れ全体が輪になり始めたのです。壮年の牛は1番外側で角を外にむけて。
 まるで、アフリカの草原の映画を見ているようでした。そして、ボスや幹部級の牛が、3−4頭で猟犬を追いだしたのです。大きな牛が頭を下げて突進して来る、猟犬も悲鳴を上げていましたね。弱い動物は集団を組んで、強い外敵にあたる、まるで、自然の教科書を読んでいるようでした。
 それを見て私は、ああ、これが愛国心だと思いました。

 私が軍国主義の戦前に、学校で教えられた愛国心は、天皇の為に、神国日本の為に、命を捧げよ、でした。何度も何度も、事があるたびに教え込まれ、反論が許されなかった。そして、何時のまにか、それが、正しいと信じる様になっていました。
 昭和20年の敗戦で、それまでの価値観が全て否定されて、愛国心はタブーの言葉になりました。社会が落ち着いてくると、オリンピックなどの世界大会で、日本が優勝すると心が熱くなってくる。でも、それに愛国心の言葉は当てられませんでした。時折、新聞や雑誌の世界に、新しい愛国心と言う言葉が浮かぶことがありましたが、心に響くインパクトはありませんでした。
 しかし、この牛の事件で、私は愛国心の基礎は、家族愛だと思ったのです。

 自分や家族が住んでいる集落、住みやすく、お互いに助け合い、守りあっている。愛する家族がこの集落のお陰で、安全に暮らす事が出来る。だから、この集落が好きなのです、愛しているのです。
 その集落が、安芸太田町という行政区の中で、存在を保証されている。だから、私はこの町を故郷として愛しているのです。
 その様にして、広島県は、安芸太田町を、日本国は広島県を、それぞれ、安全と存続を保証してくれる。それで、始めて日本国を愛する愛国心が生まれ、祖国と感じる。そんな愛国心でないと、又戦前のように、国民を、私の家族を、自分たちの主張の為に死地に追いやる、悲劇の繰り返しになると思っています。

 小泉首相は、バブル崩壊の後始末には必要な政治家でした。しかし、彼の国家観は間違っています。政治は国民の生命財産の安全を守る事が基本です。その次に衣、食、住の確保が仕事です。そして、そのために、社会の様々な仕組みを作り、守り、維持して行く。
 靖国神社参拝で問題になった戦犯の人達の罪は、国民の生命財産を守る基本を忘れて、戦争を始めた事です。たとえ、どのような理由があったにせよ、国民を、私の家族を、死地に追いやり、国家を破滅させた罪は消えません。
 私は12時間違いで、原爆に逢わずに済みました。しかし、父の後妻として、母親になるはずの人は、結婚の支度をする為に広島にゆき亡くなりました。家内の兄は、将来を嘱望された青年でしたが、陸軍に召集されて死亡しました。原爆後、可部の町に運ばれてきた沢山の被災者が「水、水」と懸命に訴えていた声は、まだ耳の底に残っています。
 それは、日本国民だけではないでしょう。戦争に捲き込まれて命を失い財産を無くした外国の人々、その人たちの恨みは、どのような理由があるにせよ、その戦争を始めた人々の罪を許す事はないはずです。

 愛国心と言う言葉が歩き始めました。「にせものの愛国心」と「本物の愛国心」を区別したい、区別して欲しいと、私は思っています。

2006.4.15 見浦哲弥

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