2014年08月30日

一輪車

最近は何処にでもあって珍しくなくなった一輪車、中国名は孤綸車、昔の農機具の本の挿絵で見た。

私が子供の頃、納屋の隅に小さな荷車の車輪が心棒つきでほってあった。何をするものかと随分思案したものだ。小型の大八車の車輪の片割れとすれば小さすぎるし、第一、片割れだけほってあるのが解せない。

そこで親父ドンに聞いて見た。彼いわく、昔は狭い畦道で物を運ぶのにはオイコ(ショイコとも言う、今でも強力さんが荷物を背おうて運ぶ時につかう使う道具)か、天秤棒で担ぐしか方法がなくて、なんとかならんかと弧輪車を作ることにしたんだ、ところが小さな車輪は店で売っていないので広島に特注して作らせたんだと、いきさつを話してくれた。もっとも車輪だけ放置してあったのだから、うまく行かなかったのでしょうな。

ところで本の挿絵の弧輪車は曲がった天然木を加工して車体としている。再現してみようと思っても、当時14,5歳だった私の能力では、そんな加工は出来ない。そこで考えたね、真っ直ぐな角材を組み合わせて出来ないか、それでなら先端に心棒の通る穴を開けて、あとは釘打ちでなんとかならないかと。今でも、その性格は変わらないが思い立ったら即実行が私の性分、出来上がった代物は今では想像も出来ない不恰好な代物だったが何とか荷物は積めた。早速、田植えの苗運びに使ったのだが、大切な事を見落としていて実用にならなかった。なぜ実用にならなかったか?それは田圃の畦は柔らかい、従って車輪がめり込む、押すのに大変な力が要る、重いものを少しでも楽に運ぼうと考えたのにね。もっとも固い道では多少は便利だったと覚えている。が、そんなわけで苦労して作り上げた弧輪車も再び放置される運命になったんだ。

ところが狭い道を楽に物を運ぶと言うことは誰もが考えたことらしく、小さなゴム車輪が売り出された。確か広島の横川にあったリヤカーなどを作る会社だったと思う。それは車輪軸にベアリングが使ってあった。早速購入して一輪車を製作して愛用した。もっともパンクと言う新しい現象を伴ってきたが、これは畦道で使えたんだ。

そのうち細いパイプで組み立てられ、タイヤの直径が少し大きくて細めの一輪車が工場生産されて店頭に登場した。これは軽くて安定していて3,40キロの荷物が積めたので、手造り一輪車はたちまち駆逐されたんだ。もっとも値段は高くてね、貴重品だったんだけれど。

販売店が農機具屋からホームセンターに変るようになり、安売りの目玉商品になって貴重品だった一輪車も気軽に買えるようになった。勿論、国産品は安価な中国品に駆逐されて姿を消して、溶接の不具合や、タイヤの空気漏れなど問題点が数多くあるものの、安くて便利と一家に1台はもとより2-3台あっても不思議ではなくなった。壊れたら買い換えればいい、空気漏れも安い空気ポンプを買ってつぎ足せばいい。

そんなわけで何千年か昔、中国で発明され、何百年か昔、日本に伝えられ、明治の小板で親父ドンが苦労して試作した一輪車は、今はどこの農家にもある使い捨ての道具になった。スクラップの山の中にその残骸をみると、時のながれを感じるのである。

2014.7.4 見浦哲弥
posted by tetsu at 08:41| Comment(0) | 見浦牧場の足跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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