2012年08月13日

あじさいロード顛末記

国道191号線を安芸太田町松原から深入山の麓を経て北広島町の町境まで約6キロ、道路のほとりに紫陽花が植えられて、シーズンには地元の人間でも心が癒されます。何も知らない都会人の「きれいね」の一言の陰に、地元の人達の努力と犠牲があることを感じる人はいません。
これは貧しい山村の人達が、豊かな都会人にサービスする、古い田舎の体質から出来たシステムだったのです。
しかも、それも国道の改修で利便を得た地元の人達の発想ならまだしも、目立ち屋のボス連中の上意下達で押しつけられたときては心が痛みます。
たとえ、それが正しいことでも、実際に関わる人達からの発想の形に持って行かないと無理が来る。目下、その無理が極限に達しているのです。人口が減って大切にしなければならない若者達に。

今日はその報告です。

あれはもう何年前になりますか、今は亡き世賀井田(屋号)の肇さんが自治会長でしたから20年も昔です。彼が町の自治会長会議で、国道191号線の付け替え改良工事完成記念に道路沿いに紫陽花を植えてフラワ−ロードを作る事が決まった、ついては地元集落に菅理を委託したいと申し入れがあったと話したのです。「ええ話しだけー、やらにゃーいけまじゃーないか」と。

一言多い私が「それを誰がするのか」と聞いたのです。「勿論集落のみんながやるのよ」。そこで、「一、二年は何とか出来るかも知らんが、5年先10年先誰がやるんね、どこの若いもんが帰ってくるんね」絶句した彼に追い打ちを掛けました。「消防も水道も自治会の出役も、担ってくれそうな若者は2人しかおらんのよ。紫陽花は1−2年では枯れん。自分たちが出来んことを引き受ける、そんな無責任なことを請け負ってはいけん。」

簡単に考えていた彼も、言われてみれば小板の現実は、これ以上の公共の仕事を増やすわけには行かない、「そう言われれば、先のことまで考えなんだ」と。
彼が役場に飛んでいって前言を撤回し、小板地区には紫陽花ロードの管理は請け合いかねると申し入れをしたのは言うまでもありません。
困った役場は隣接の松原自治会に全面管理を依頼しました、発案者がその地区の議員とあれば断るわけにゆかず、引き受けた。
ところが、その先があって、これを学区の父母会(PTA)に委託したのです、若干の委託費を町が負担するということで。

ところが肝心なところに気配りがない。それは山村は人口が減少している、目下減少中ということ。私が松原校に通学していた頃は小学校、中学校(昔は高等科と言いました)合わせて108人、それに小板分校の27人を加えると130人あまりの大所帯、それが十数人に減少している。若者の離村と少子化が重なって農村から若者が消えて、結果として子供がいない。学区の父母会も会員が激減、しかも収入の少ない集落では働き場もない、幸い道路は良くなり、自動車は普及して20−30キロ圏に働きに出る事は可能、父母会のメンバーも夫婦共稼ぎ、たまの休日には山積した家事の後始末で時間が幾らあっても足りない、そんな人達に紫陽花ロードの手入れまで受け負わせた。

ボス共は何を考えているのか、と憤慨しても古い体制を残した山村では若者の不満は上部までは届かない。結果、離村が促進されるという結末。見浦家のお嫁さんも父母会のメンバーと言うことで付き合わされて悲鳴、自分の生活を破壊してまで紫陽花ロードに付き合うのは本末転倒ではないかと助言して脱会させた。

こんな事もあって若者の流出は止めどもなく続きました。そして中学校も、小学校も、幼稚園も消えて行きました。本校があった松原地区の子供より小板地区の生徒が多いと気付いた時は手遅れでした。

若者の都会への流出は時の流れだったかも知れませんが、それを加速するような政治の力が働いた。その一つが紫陽花ロードだったのです。

こんな裏話はあっても梅雨の時期が来れば深入山の国道は紫陽花の花盛りで心が和む。何も知らない旅行者は「綺麗だね」と通り過ぎる。その花の陰の悲喜劇には気付かないで。

今年も夏が過ぎて花の季節は終わりました。紫陽花ロードの「花を大切に」の立て札の側で、ドライフラワーにするため花を切り取って行く人を見かけます。そして隠れた悲劇を知る人もいなくなりました。

2012.6.29 見浦哲弥
posted by tetsu at 07:37| Comment(0) | 地域社会を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。