2012年07月28日

大規模林道、大朝ー鹿野線(細身谷林道)建設中止

2012.1.19 日本のバブル崩壊がこの小さい集落にも現実の姿で現れました。私たちが大規模林道と呼んで利用している2車線の道路建設が中止になったのです。
今日は見浦牧場を貫通して建設された、この道路の悲喜こもごもの裏話です。

もう30年あまりも昔になりますか、お隣の芸北町で立派な林道が建設されるという話が聞こえてきました。
ところが20キロもある遠い隣町の話、大朝(北広島町)から山口県の鹿野町をつなぐ林道だそうなと聞いても大して関心はありませんでした。その道が隣部落の空城を通ると決まって、にわかに現実味を帯びてきました。隣村の芸北町(現在は北広島町)の役場から、小板通過賛成の同意書が送られてきたのですが、国道191号線の付け替え工事の最中で、それどころではないと放置してありました。
でも、本当かと見学には出かけました。空城川が橋山集落に合流する入り口付近の工事が始まっていて、せまい峡谷の岩盤を削っての工事、こりゃ小板に着くのはいつのことやらと記憶から消してしまったのです。

何年か経ちました。道路は僅かずつ伸びていました。空城川を離れて小さな峠を越え滝山川の上流へと進んできました。そこから小板までは約3キロ、こりゃ完成するぞと期待を持ち始めたのですから現金なもの、進捗状況を頻繁に見に行くようになりましたね。
やがて見浦牧場の芸北町分に差し掛かると、工事会社の社長が工事の残土処分地はないかと訪ねてきました。もともと見浦牧場は谷あり丘ありの地形でそれをならして牧草地にした牧場、埋め切れなかった谷は散在していて場所はある。低地には暗渠排水を、谷には排水パイプを埋設することで契約成立、それから10年あまりも残土の持込が続いたでしょうか。
山間の道路建設は極力残土が発生しないように、山を切り取ったらその土を谷に埋める、そして最短距離になるように設計するのですが、自然相手のこと、そううまくはいかない。残土処理は道路建設の悩みの種だったのです。おまけに小板から横川の間は国定公園の区間があり、見浦牧場に搬入された残土は約7万リューベ、10万トンを超す膨大な量になったのです。
後年、初期の見浦牧場を知る岡部先生が来場されて、公共工事と農地改良の連携というのは盲点だったと述懐されたときは嬉しかった。何しろ当時はこの地方の公共工事で残土を受け入れるときはダンプ1台で幾ばくという補償金を徴収するのが常識だった。それを改良工事を条件で無償?という方式をとったのだから、何人かの友人に人間がよすぎると忠告されましたね。
その関係もあって、中央政府に関係のあった岡部先生が国家資金の有効な投資方式だった「その手があったか」と残念がられた、私の鼻もちょっぴり高くなりましてね。

小板に達した大規模林道は2車線の立派な舗装道路、カーブは多いものの道路規格は国道191号線よりはワンランク上とは工事をした藤本組の社長の話、アスファルトの下の砕石の厚さが違うとか、なんとか。勘ぐればこの道路は国道186号線から191号線に移るときの最短距離、震災その他でいったん火急のための南北連絡道の一部かと考えたものです。
現実には大型車の通行量が多い、一般車は土曜日曜に限られています。もっとも見浦牧場にはありがたい道路で芸北にあった木材工場に週2−3回も木屑取りに利用させてもらった。

国道191号線と交差した大規模林道は名勝三段峡中央の餅の木部落を目指して小板川をくだります。その間約5キロ、三段峡は中流で吉和方向から流れる横川川と旧芸北町八幡高原からの柴木川に分かれる、その中間に餅の木部落があるのです。戸数6戸、川を挟んで小板川に2戸、横川側に4戸、小学校は小板分教場に1時間も2時間もかけて通ってくる、もちろん遅刻、欠けた授業のせいて勉強はできない、当然のことですね。何しろ足の弱い1年生まで連れての登校ですから。しかし、運動能力は抜群、山のことは何でも知っている。町の子の私には尊敬に値する連中でした。その中の一人が1級上の舛見敏夫君、彼は生涯の友でした。

閑話休題、ところが餅の木、小板間は荷車がかろうじて通る悪路、町の中央部へ出るためには、峡谷の中の歩道を出るか、小板を通って25キロの道を500メートルの高低差を含めて走破するしかない。峡谷の中には丸木橋もありましてね。少し出水すると通行不能、病気をすると即お寺さんを呼べの世界、小板まで自動車が通る道をつけるのが悲願でした。
農道として1車線の道路建設が始まったのが敗戦後10年も経ったころだったと記憶しています。ところが小板部落の下流に川まで巨大な岩壁がせり出した場所があって難工事、小さな削岩機での発破工事が時間がかかりまして。でも悲願の道路が完成したときには舛見君も大喜び、これで役場にいくのも楽になると。ところが小板ー餅の木間は100メートルあまりの高低差、大雨が降ると道路は激流で河原に変身、悪路の見本みたいになる。そこで今度は舗装道路がほしいとなった。そんなところに大規模林道、今度こそ僻地から脱出できると懸命になる。町会議員の選挙ともなると林道延伸に努力するの一言で東奔西走、2−3票しかない地域の要望など口約束にすぎないのにね。その挙句に自治会長でしかない私になんとかしてくれと頼みにくる。思わず「心配するな、君が生きている間には必ずつく」と口を滑らせたのが運のつき、「まだつかない」と責められました。

そのうち、横川集落にあった恐羅漢スキー場が戸河内からの横川林道では大型バスが入らないことに気がついた。何しろバブルでスキーバスが大型豪華になって遠くからのツアー客が増えた。ところが道が狭くて芸北地区のスキー場にお客を持っていかれた。この地帯はスキーのメッカ、即スキー場の激戦区、2車線の大規模林道が横川を通ることが問題解決と懸命になる。おかげで舛見訓の苦情を聞くことはなくなりましたね。
やがて餅の木集落?(1−2戸まで減ると集落とはいえないかも)と田代集落(6戸ばかりの集落がありましたがあまりの不便に4−50年前全戸が移住、杉林になりました)の間の田代峠を越えて、立派なコンクリート橋で奥三段峡を渡り、トンネルをくぐると横川川、谷沿いの道を駆け上がると横川部落、最盛期には60戸近くの民家が立ち並んでいたのに、現在は数戸。でもスキー場までは到達した、あと13キロ延伸すれば、高速道路の吉和インター、交通の便では芸北地区随一のスキー場になれる、と思ったところで建設中止。

ちなみに戸河内インターからは38キロ、地域一番の雪質を誇っても、スキー人口減少の最中では経営の好転は望み薄なのでは?

表面の理由は林業の衰退、環境団体の反対など、理由が並べられた。でも私は思う、国民が平和ボケをしたせいではないのかと。私は戦前、戦中、戦後を見てきた。世の中は様々なことが起きる。いいことも悪いことも。
日本は南北に細長い島国。しかも地震国いったん事が起きると大混乱になる。3.11の大震災はこの国の比較的幅の広いところで起きたので、国難ではあっても日本が南北に分断して機能を失う現象は起きなかった。が阪神大震災のときは南北の連絡道が国道9号線のほか数本に限られてこの地帯にもトラックが殺到する事態が起きた。私は大規模林道はこの補完道路の役割があると思っていた。ところが国の財政が厳しくなり、NGOの自然保護の宣伝にマスコミが便乗するにいたって、これ幸いと中止になったと思っている。
自然保護を口にするのならなぜ国有林の独立採算を主張する前に自然保護のナショナルパークの設立を提起しなかったのか、貴重な自然林が伐採され、針葉樹が植林され、食物に植えた野生動物が里山に押し寄せて山村崩壊を引き起こした。これは人災ではないのか。見浦牧場では過去50年に7頭の牛がツキノワグマの犠牲になった。針葉樹林になった国有林には野生動物を飼養する力は想像以上に劣化している。だとすれば災害対策の道路建設は自然保護と同等以上に評価するべきだと思うのだが、年寄りの遠吠えなのだろうか?

とにかく、大規模林道大朝ー鹿野線は終わった。横川のスキー場分かれを過ぎて1車線になりすぐ砂利道になり、やがて40年前吉和村まで駆け抜けた悪路の林道になる。人生の最後にもう一度たどってみたいとは思うものの、おそらくは機会がないだろう。完成していたら吉和のインターにつながる、かくれた主要道になったかもしれないのに。

今日は見浦牧場を横断する道路の裏話を報告しました。
2012.2.29 見浦哲弥

posted by tetsu at 10:48| Comment(0) | 地域社会を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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