2012年03月25日

非常識

小板は中国山地の小さな集落です。ところがここで起きた非常識が日本という国でも起きて、世界中の笑い物になっています。日本国崩壊の兆しかもしれません。今日はそういう話を聞いてください。

人間は集団で暮らす生き物です。集団は必ずリーダを選んで行動します。見浦牧場では大きな牛から生まれたての子牛まで100頭余りの集団で放牧しています。牛は集団で暮らす動物。彼らもリーダを選んでその行動にしたがって暮らしています。何しろ猛獣の月の輪熊が出没していますから、彼らも命がかかっています。
とはいえ、日本の農村には牛を子牛の時から集団で飼う農家はありません。ですから私たちも最初は1−2頭飼いの農家から子牛を集めて牧場をはじめたのです。集団で暮らすのは牛の本能ですから、経験のない彼らでも集団で暮らすようにはなりましたが、問題が山積みでした。

その一つにリーダの選び方がありました。牛も動物ですからリーダになるためには力比べてをして勝たなければなりません。集団とは言え、人工授精が普及した現在ではブルと呼ばれる雄の成牛はいません。受胎のための精液は液体窒素の魔法瓶のなか。したがってリーダは雌の成牛同士で争われます。角と角を突き合わせての力比べ、ぶつかったときは心配になるほどの音を立てて力負けして後ろに下がったら勝負ありで順列が決まるのです。
最初の頃は勝負がついても突き合いをやめず、怪我をすることが再三でした。除角という角切りが必要と指導されましたが、何代か経つと変化がありました。勝負がつくとそこで喧嘩は終わり。無駄な争いはしないようになりました。
自然は素晴らしい。動物には学ぶところがある。”自然は教師、動物は友”の見浦のモットーのそのままです。

この他に、集団の進化につれて学ぶ点が増えましたが、それは後ほど報告ということで。

見浦牧場がスタートした頃は深入山にあった共同の放牧場が機能していました。小板分は面積が145ヘクタール、山の反対側に松原集落の放牧場が隣接していましたが、こちらは集落に牛がいなくなり、早く廃場になりました。
放牧場は1−2頭の役牛を田植えが済んだあと等に放牧するという形で利用されていたのです。そのころは牛たちは牧場の中では5−6頭の小さな群れで行動していました。
時々群れから外れた牛が行方不明になる事件もあって、牛飼いが総出で探すなどのハプニングもありましてね。

私が覚えている4件は、急斜面の小道を通って谷の奥に入り出られなくなり草を食いつくして痩せこけた2頭連れ。幅の狭い谷に入り込み、向きが変えられなくて立ち往生していた牛が2例、そのうちの1頭は餓死していました。それから、地下水のトンネルを踏みぬいて穴に落ちた牛、これは深入山に遠足で登山した小学生が偶然発見して大騒ぎになりましたっけ。そのほか見浦の牛も牧場から連れ帰るのに歩き辛そうにする、とうとう家まで500メートルのところで走行不能、獣医さんにみせたら腰骨にひびが入っていて廃用、そんなこともありましたね。

しかし、この集落も牛がいなくなって、放牧しているのは見浦の牛だけとなり、様子が変わりました。どう変わったか?集団が大きくなったのです。
最初は2頭だけで脱走して他家の山に入り大騒ぎになりました。次は1頭が群れから外れて反対側のキャンプ場に現れ、熊に間違えられたこともありました。牧場から帰る時、リーダに従わす雪の中で食べるものもなくて痩せこけて集落の辺まで帰ってきた若い牛もいました。

これらは集団で暮らすという牛本来の習性を忘れた牛たちが起こした事件でした。ところが生まれて1週間ごろから仲間を探す習性の牛たちは、成長するにつれ集団生活のルールを本能の中から呼び起こしたのです。

でもリーダを選ぶ本能が本格的に目覚めてくるのには、それからもう少し時間がかかりました。
牛は力の強い順に見事な順列を作ります。順列の低い牛が上位の牛のえさ箱に頭を突っ込んだら、思い切り突き飛ばされる、そんな力の世界なのです。
最初の頃、力の強い乱暴な牛がリーダになりました。気に入らないと追いかけてとことんまでやっつける。それでも黙って従っていた牛たち、やっぱり畜生じゃなと思いました。
ところが何年かして彼女は体力が落ち始めました。そして力比べにやぶれました。と3番目の牛が喧嘩を売りに登場しました。懸命に応戦したリーダ、しかしすでに1戦して体力を消耗しています。負けるべくもない戦いに敗れました。それを見ていた4番目が挑みました。そうして次々と挑戦者が登場、とうとう最下位の牛にまで敗れる始末、前日まで牛舎の最上席で寝ていたリーダは、吹雪の吹きさらしで震えていました。

”いいあさひめ号”という中型の牛がリーダになりました。気持ちが優しい牛で自分の餌箱に頭を突っ込まれても角を振って追い払うだけ、追いかけていくことはありませんでした。
私たちは牛でも手加減を知っている牛がいる、と感心したものです。
彼女も年を取り、リーダ争いに敗れました。順列が下がりましたが、驚いたことに下がり方が2−3位でした。彼女はリーダでなくなっても畜舎の最上席ではないにしても、風の当たらない屋根の下で寝ていました。優しさは自分のためなのだと理解したのはこの出来事からでした。

リーダの必須条件の一つは他人に対する優しさだと思います。ところがそれだけでリーダとは認められない、もうひとつの大きな要素があります。それが集団が生き延びてゆくための必須条件ですから。

私が書いた”愛国心を考える”という文章があります。その中に猟犬が子牛を襲った話を書きました。その時の牛群のリーダの取った行動が、リーダとはかくあるべきと教えています。次に引用してみましょう。

”何年か前、猟犬がイノシシを追って牧場に入ったことがあります。気がつくと、牛が大騒動をしていました。すわ何事と眺めると、近所の猟師が連れた3頭の猟犬が、子牛を追いかけています。猟師の話によれば、2キロほど離れた道戦峠で猪の足跡を発見して追跡しているうちに、牧場に入ったといいます。犬達は、そこで子牛の集団を発見して、追跡の相手をかえたのです。興奮した犬達は主人の制止にも耳を貸さないで、悲鳴をあげる子牛を追いかける、それを守ろうと母親が走り回る。すると、それに気づいたリーダーが、群を集め始めたのです。子牛を中心にして、育成牛と呼ばれる若者の牛、お母さんに成り立ての若い牛、と群れ全体が輪になり始めたのです。壮年の牛は1番外側で角を外にむけて。
 まるで、アフリカの草原の映画を見ているようでした。そして、ボスや幹部級の牛が、3−4頭で猟犬を追いだしたのです。大きな牛が頭を下げて突進して来る、猟犬も悲鳴を上げていましたね。”

リーダの必須条件は緊急の時に何が大切で何が優先するかを瞬時に判断して行動する、この能力を欠かすできないことができないのです。前述の事件では子牛を守ることが最優先でした。その次は何をするか・・・・、その時の牛のリーダの行動は私に大切なことを教えていました。

後年、戸河内農協の組合長になれと、理事さん数人から話がありました。もちろんその任ではないと断りました。牧場の仕事をやめるきはありませんでしたから、考えたこともなかったからです。
戸河内のような小さい町では、一番偉いのが町長さん、次が議長さん、農協の組合長の順序で、町民が一歩譲る存在、それを言下に断るとは何事と思われたようです。先輩の幹事さんが後年「あの時はあんたでよかったのに」と述懐された時は返す言葉がありませんでしたが。

しかし、お断りしたのは牧場のこと以外に私の性格がありました。前述したようにリーダは緊急時には瞬時の判断が必要。ところが、私は理詰めの理科系の人間、瞬時の判断は自信がありません。遅れた判断は集団の破綻と牛に教えられています。黒子として働くなら役立っても、トップになれば集団の足を引っ張りかねない、そう信じていたのです。

そして、2011.3.11、東日本大震災が起きました。そして福島原子力発電所の大事故が発生、リーダの瞬時の判断が必要な事件が起きました。日本という集団の浮沈を決める大事件です。ところが最高責任者の管総理大臣はリーダの本質を理解できていない政治家でした。理系の大学卒を自負していた彼は、正確な判断をするためと称して自分で確認したり、意見を聞き歩いたりで、時間を浪費したのです。結果は原子炉のメルトダウン、建屋の爆発、放射性物質の拡散と最悪の結果をもたらしました。
さらに、自分の行動を正当化するためのいいわけに終始して6カ月を無駄にしました。ようやく辞任した彼が四面楚歌だったとつぶやいたとか、言ったとか。
史上最悪の宰相と評価されたのはたった一つ、彼が緊急時に瞬時に正しい判断を下すというリーダの必須能力を持てていなかったせい、もしくは持とうとしなかったせい。

無能ではない彼が、集団が生き残るための必要な人材の意味を理解して、その才能を生かしてくれたらと思うのは買いかぶりなのでしょうか?
2011.9.2 見浦 哲弥


posted by tetsu at 09:40| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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