2011年09月13日

集落一周は 逆立ちで

昭和44年に見浦牧場は国の構造改善事業に参加しました。小板地区にある呼気誘致に60ヘクタールの牧草地を作り6戸の畜産農家と6戸の兼業農家を作る計画でした。

その事業に各農家がそれぞれ計画を立てて申請したのです。
大多数の人が2−3頭から10頭の規模なのに、私は一貫経営、子牛から肥育までの165頭飼育と計画書を出したのですよ。
それを聞いたH君、我こそは昔から牛を飼っている牛飼いぞ、こんな戯言は聞いたことがないとみなの前で笑ってみせた。「見浦はトオスケ(阿呆)を言う、そんなことができるわけがなーがな」と言ったと、友人のO君が注進してきたのです。

そして、彼曰く「それんだがのー、俺もわからんのよ、一人で165頭もどうやって飼うか、教えてくれーや。」

無理もありません。乳牛では多頭飼育は実現していました。
20頭ー40頭ぐらいを大きな牛舎で飼う、若者の夢でした。隣の雄鹿原地区では乳牛飼育をはじめる農家が増え、小さなマンサード屋根(腰折れ屋根)の牛舎がこれ見よがしに建ち始めました。私の頭にある七塚腹種畜場の牧場とはかなりの差はありましたがね。

そこへ聞いたこともない和牛の放牧飼育をやる。しかも165頭で。Hボスが見浦が気が狂ったと笑ったのは無理もありません。

昔は、小板にも30頭ばかりの和牛がいました。もちろん役牛として農耕や運搬が仕事でした。トモダヤと称する棟続きの畜舎や、ウチダヤという母屋の人間が住む部屋と隣り合わせの畜舎で飼っていました。
見浦家はウチダヤでした。6月の終わりになるとハエが大発生。ダヤと境の壁穴から人間の住居に殺到。食事時など、ご飯の上が真っ黒になる。いま思い出しても食欲がなくなります。

4月になると、役牛の活躍の場、冬じゅう暗いダヤ(駄屋:牛舎のこと)で過ごした牛は田起こしに、代掻きにと春の風物詩の一翼を担うのです。
エサも、屑米や麦、ぬか、ふすま、等が加わって上質になりましてね。牛もええもんを食わにゃー力がでんでー、と。

ところが、春になってからでは間に合わない。早すぎては太りすぎて力がでない。この辺りの按配が素人の見浦家ではわからない。冬飼いの悪かった見浦の牛が力尽きて田んぼの中で倒れて大騒ぎ、痩せてはいても重量はありましたから、泥田の中から担ぎ出すのは大変でした。
ですから、見浦が牛のことでオオモノ(大言壮語のこと)を言う、と皆が笑ったのは当然でしたね。

さて、そこで、私の悪い癖がでました。
「訓練するんよ。見浦の牛はの、”集まれ”と号令すると一列に並んで、”右向け右、前に進め”というとついてくる、だから心配はいらんのよ。」馬鹿にされたと思ったO君、怒ったのなんの。「そーがーなことは聞いたことがない、それができたら小板を逆立ちで回ってやらー。」

子供のころから動物好きだった私は、小学校4年の時に出会った、パブロフの反射条件の理論に心酔していました。サーカスの動物芸も、叔母の家の飼い犬が私によく馴れるのも、条件反射の応用、牛でも訓練すれば人間の命令に従う、と信じていました。

現に田んぼで牛を動かすのは、手綱と号令(止まれはバッ、前進はシーチョッ、チョッチョッ)で動くではないか。

さて、売り言葉に飼い言葉、牛を訓練しなければなりません。すでに数十頭いた牛群をどこから訓練をはじめるか、試行錯誤が始まりました。

最初にエサやりの合図を覚えさせなければと思いました。その合図は人間の声にするか、笛にするかを決めなくてはなりません。今日は笛を忘れたから人間の声にする、では牛が覚えるわけがないと思いました。そこで物忘れ名人の私はいつでも持ち歩いている自分の声を使うことにしました。
しかも牛にもわかる特徴ある声、連載記事”中国山地”でも話題になった、唸り声にもにた腹の底から出す「もーん」という声を使うことにしました。

訓練をはじめました。夕方の餌やりの時、必ず合図の「もーん」を使って呼びかけるのです。餌場でね。それから牛を追い集める。
最初は牛は見向きもしてくれません。1カ月たち、2カ月たっても、牛群に変化はありませんでした。さすがに3カ月になるとこれは駄目かと疑心暗鬼になりました。パブロフの理論は牛には通用しないのか、と。
O君の、やっぱりできなかったかとの高笑いを思うと気が重かったですね。

ところが3カ月目の終わりに呼び声に応じて頭を上げた牛がいたのです。
翌日は頭を上げただけでなく、周りを見まわした。これはいけるかも、と思いましたね。
3日目には、頭をあげ、周りを見渡し、そしてゆっくり帰り始めたのです。
「やったー」飛び上がって喜びたい、そんな気分でした。
帰ってみれば餌がある、翌日からは呼ぶとまっすぐ帰ってくるようになりました。それにつれて他の牛も動くようになり、全群がコントロールできるようになるのに、時間はかかりませんでした。

リーダか上位の牛を教育しさえすれば、他の牛はそれを見習う、そして全群をコントロールできる。しかしリーダが交代したら又初めから訓練か、と思うと憂鬱でしたが、群れの中に知識が保有されていました。
世代交代でリーダが交代しても、群れの中の知識がコントロールを受け継いでいく、素晴らしい発見でした。朝牧柵の扉をあけると牛舎から親牛も子牛もわれ先に草地に走りこむ。夕方大声で呼ぶと、一列になって草地から帰ってくる。「牛は学習する」と胸を張りたい気持ちでした。

O君の家からは、夕方一列になって丘を越えて帰ってくる牛の列は見えるはずなのに、逆立ちをして集落を回るという約束には一言も触れませんでした。どういいわけをするのかと意地の悪い期待をしていたのにね。

しかし、この出来事で牛は高等動物だと実感したのです。

家畜というのは、動物を人間が生きるために利用させてもらう、乳牛はミルクを肉牛は牛肉を作る能力を利用するのだと。しかし私は牛たちは高等動物、高い知能を持っている。その知能も能力、利用しない手はない。これが、見浦牧場の考え方なのです。
産肉能力(肉を作る力)だけでなく、習性や記憶力や思考力なども利用させてもらう、それで労力が節約できれば、コストダウンの大きな力になると考えているのです。
その出発点のコントロールに成功したのです。でもO君の「なんぼ見浦でも、そんなバカなこと」の発言には少々頭に来ていたので、約束だから小板中を逆立ちで回れと言ってやりたかった。

でも40年あまりたったある日、彼がひとりごとのように「あればっかりは出来るとは思わなかった」といったのを聞いて溜飲を下げたのです。

あれから長い年月が経ちました。O君も幽明界を異にしました(ゆうめいさかいをことにする:あの世とこの世とに別れる。死別する)。今では意地悪をしなくてよかったと思っています。

2009.6.23 見浦哲弥

posted by tetsu at 08:07| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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