2015年01月07日

爺ちゃんから、大人の入り口の明弥君に

2014.5.21 貴方も10歳、6年生になりました、この年齢は、少しずつ子供から大人に変わり始める年なのです。でもおおかたの子供たちはそれに気がついていない。昨日までの小さな子供の時と同じ気持ちで生きている。それが普通なのです。
でも、それでは本当の大人になれない。お父さんや、お母さんのような大人にはね。今日はその話をしましょう。

人間は1人では暮らせません。こう言ったら利口な貴方は1人で暮らしている人もいるよというでしょう。でもよく考えたら、何時も働いている貴方のお父さん、お母さんや、学校の先生、スクールバスの運転手さん、病院のお医者さん、看護婦さん、町では泥棒がこないようにお巡りさんもいます。お店やスーパーで働く人、道路を直す人、食べ物を作るお百姓さん、私達が住んでいる世の中は沢山の人達が色々と働いて助け合うことで成り立っている社会なのです。
それが人間の集まり、仕組みなのです。貴方も1人では一日も生きてゆけない。人間とはそんな弱い動物なのです。

さて、そこで考えてください。もし貴方がライオンのいる草原で1人でいるとする。どんなに大きな声で「俺は強いぞ」と言っても一人ぼっちは、たちまちに食べられてしまいます。ところが仲間が大勢で団結していると、そう簡単には餌食にはならない。それが動物の社会なのです。貴方は自分が住んでいる社会ではそんことは起きないと思っているでしょうが、人間の社会でも似たようなことが起きるのです。1人ぼっちは誰も助けてくれない、やけを起こして泥棒をして、警察に捕まって牢屋を出たり入ったり、誰からも相手にされなくなり、「何のために生まれたのか、勉強したのか」と人を恨みながら死んでいった友達がいます。利口な貴方は、俺はそんな馬鹿な生き方はしないと思うでしょうが。

そうならないためには、どんな生き方をすればいいか、それは見浦の牛が教えています。

見浦の牧場では30年ほど前、子牛が熊に襲われて殺される事件がおきました。子牛が2頭、群れから離れたのが原因です。熊が餌を狙うときは1頭でいる子牛か弱い病気の牛をねらいます。それは元気な牛や群れになっている牛に命がけで抵抗されると自分が危なくなるからです。そして事件が起きました。夕方、帰ってこない子牛を呼んで二頭の母牛が懸命に鳴いていました。それが夜中には鳴く牛は1頭になりました。一頭は逃げ帰ったのです。
あくる日、牧場の岡の向こうで発見した子牛は地面にたたきつけられて死んでいました。

普通の牧場では牛は牛舎で飼います。熊が牛舎の中まで入って牛を襲うなど、日本の内地では聞いた事がありません(昔は北海道ではあったそうですが)。牛舎の中で育った子牛を買ってきて始めた見浦牧場の牛は、自然の中に自分達を襲う熊がいる、そんなことは知りませんでした。そして何も知らない子牛が2頭群れから離れたのです。そこに腹を空かした熊さんがまっていたというわけです。そして1頭が捕まって殺された。

それから何が起きたと思いますか?見浦の牛達は生き残るための勉強したのです。一匹でいたら危ない、仲間が多い方が安全だと学習したのです。ところが子牛も人間と同じで仲間に優しい子牛と意地悪をする子牛がいます。見ていると意地悪をする子牛の周りには子牛が集まらない。角を突き合わせても、走りまわっても、相手の嫌がることや、いじめはしない、そんな子牛のところには沢山集まるのです。弱い子牛を何時までも突いて突いていじめる、そんな子牛はいつのまにか一人ぼっち、気がついて慌てて皆を追いかける、そんなことが多いのですよ。そんなときに熊に出会ったら誰が食べられるのでしょうね?動物は言い訳をしません。言い訳をしない代わりに行動で示すのです。

そうは言っても、お爺さんも子供の頃からそんなことが判っていたのではありません。喧嘩もしたし、いじめもしたかも知れません。でも小板の学校で一年上の上級生が大人しいモチノキからくる生徒や韓国から働きに来ていた人の子供をいじめているのを見て我慢が出来なくなりました。「弱いものをいじめるな」と、いじめっ子に文句を言いました。下級生に文句を言われたその上級生はカンカンに怒って「いらんことを言うな」と、喧嘩になりました。先生が止められないほどの喧嘩にね。ボカボカに殴られても泣きながらも喧嘩をやめないでね。僕の方が正しいと負けませんでした。最後は皆が味方してくれてやっけることが出来ました。それが境にいじめられていた生徒は「見浦君、見浦君」と信頼してくれるようになりました。

松原の中学校に通った時、同級生に子供の時の病気が原因で足が不自由な子と、小さいときの火傷で頭にハゲのある子がいました。初めて松原の学校に登校したときは驚いたのです。同級生の中に、この二人をからかったり、いじめたりする子が何人もいたのです。いじめる方はなんとも思わないだろうが、いじめられる生徒の気持ちを考えると辛かった、そこで私は、この二人の友達になったのです。

あれから70年余り経ちました。足の悪かった友達は学校を出て間もなく病気で死にました。でも、そのお父さんお母さんは「子供に仲良くしてくれた」と大人になってからも親切にしてもらいました。

やけどの友人は70年経った今でも「おい見浦君やー」訪ねてくる仲良しです。

大人になって判った事は、人に仲良くする、親切にすると言うことは、相手のためにするのではないということです。それがはっきり判ったのは牛を飼い始めてからです。君が知っているように見浦牧場の牛は群れで暮らしています。大将がいて、お母さん牛がいて、子供の牛がいて、集まって暮らしています。何故かな?

牛は草を食べる草食動物です。草食動物は肉食動物に餌としてねらわれる弱い立場の生き物と言うことは知っていますね。弱いとはいえ殺されて食べられるのが嬉しい生き物はいません。彼等も出来るだけ生き残る努力をしているのです。そのために集団で暮らす智恵をもったのです。そして大きな角を利用して肉食動物とたたかうのです。それでも後ろから襲われると逃げるしか方法がありません。そんなときは、集めた子牛を中に入れて角を外に向けて戦うのです。見浦の牛で一度だけ見たことがあります。爺ちゃんの書いた文章の”愛国心を考える”の中に出ています、いつか読んでください。

爺ちゃんは、小さい頃、(幼稚園から低学年)教会の日曜学校に通っていました。そこでキリストの紙芝居を見たり、牧師さんの話を聞いたり、賛美歌を歌ったりしていました。そのときに”自分がしてもらって嬉しかったことを他の人にしなさい、自分がされて嫌なことは他の人にしてはいけません”と教えられました。なかなか出来ませんでしたが、「見浦君、見浦君」と仲良くしてくれる友達を見ると少しは出来たのかも?

大人になり始めた明弥君、いい大人になってください。爺ちゃんは何時も何時も願っています。

2014.5.29 見浦哲弥

posted by tetsu at 07:25| Comment(0) | 牛に学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月06日

酒断

私を知る人の多くは、見浦さんは酒が嫌いと認識している。
事実 酒席は嫌いだし、たまたま 同席しても一滴も口にしないのだから、お酒は駄目のレッテルを貼られているのも当然だが、昔を知る人は本当にしてくれない。

本当はお酒は美味しいと思うし、一汗かいた後のビールは最高の甘露だと感じもする。妹の結婚式で酒の飲めない父にかわつて列席のお客の返杯を受けて回って前後不覚になったこともある。それがある時を境に一滴も口にしなくなったのだから、その前後を知る人が不審に思ったのは無理のない話、「何、俺の杯は受けられないというのか」とすごまれた事もあるのだから。

40年近くも昔の話しです。畜舎を見てきた私は今晩はお産はないと判断したのです。
牛は分娩が始まる一日前位から食欲が落ちる、そわそわする、他の子牛を気に掛ける、など何かしら兆候があるものです。一日の作業の終わりに予定日の近い牛は必ず観察してお産に備える。それでも知らない内に生まれたと言うことが半分以上いますから自然は有り難いのですが。
しかし、難産も少なくはないのです。胎児が大型だったり、産道に入るのに姿勢が悪かったり、奇形だったり、様々な理由で。

でも、人間の介助で大部分の胎児の命を救うことが出来る。それが畜産家の腕前だと思うし、たとえ家畜でも与えられた命を救うことは使命だと考えているのです。

その晩も何頭かいたお産の予定の牛を見て今夜はお産はないと判断して、晩酌を飲んだのです。一日の労働を癒すささやかな休息でした。
ところが夜中になって一頭の分娩が始まりました。しかも胎児が大きくて難産になりました。哺乳類は骨盤の中を産道が通っています。筋肉だけなら伸縮ができますが骨は拡張は出来ません。帝王切開で取り出すか、間に合わないときは胎児を糸のこで切断して取り出すか方法は限られています。しかし、大部分の場合は前足を伸ばしてその間に頭を乗せ、最小の断面にして引き出せば助かる事が多いのですが、産道に入り始めると臍の緒が圧迫されて血液を通じての酸素の供給が遮断されるので、分秒を争う作業になるのです。

正常でも微妙な作業、アルコールが体に入っている状態では気は焦っても体が動かない、指先が思うに任せない、時間だけが空回りする。ようやく引き出した時は完全に死亡していました。最初に子宮の中で手に触れた時は元気で動いていて死産になるとは思はなかったのに。
アルコールが子牛の生死を分けた、恐ろしいと思いましたね。家畜とはいえ命は命、一時の安らぎの為に子牛の命を犠牲にした、飲まなきゃ良かったと後悔しても後の祭り、ほぞを噛む心境でした。

その日から酒は断ちました。悪友達が酒席で一滴も飲まない私に鼻先に杯を突きつけてこれでも飲まないかとからかっても、あの命の消えて行く瞬間を思い出して耐えました。
何年か経ちました。いつの間にか私が酒好きだった事は、誰も忘れていまいました。
そして、見浦は酒嫌いが定着して、何十年も経ちました。そして、煙草も吸わず、酒も飲まずで81歳まで長生きをさせてもらいました。今でもあの夜の子牛の命が消えていった瞬間の悔しさが忘れられません。でも、それが長生きに繋がった。人生は何がプラスで、何がマイナスになるか判らない、不思議なものだと思っています。

2012.3.16 見浦哲弥
posted by tetsu at 07:28| Comment(0) | ある日の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする