2014年03月21日

魚切の話

小板にも魚釣りがやってくる。いわゆる渓流釣と言う人達らしい。狙いはゴギとヒラベ、山女と岩魚と呼ぶのだそうだが、どちらも美味しい魚で、とれたてを塩焼きにしたら、人にもよるが鮎は足元にもおよばない。そのほかにドロバエと呼ぶアブラハヤもいるが、これは論外、食えたものではない。

ところが小板川には、うなぎ、ます、ハエ(ウグイ)、などは見かけた事がない。何故かと疑問を持ったと言う話も聞いたことがない。人の噂話にはあることないことを詮索するのに不思議な現象である。あまりなことに私が見聞きしたことを書きのこさなければと、この文章を書き始めた。

町の子、見浦は、異次元の小板の話は、どんなことも興味しんしんで耳を傾けた。その中にヒラベの話があった。先輩がいわく「昔は小板にはヒラベがいなかった」と。
その理由を聞くと「魚切があるけーの」と。そういえば三段峡の柴木川に注ぐ小板川は合流点で絶壁を流れ落ちる。「あれがあるけーの、小板にはおらん魚がおったんで」「それでの、先輩がヒラベを捕まえて小板川に放したんだげな」、話は続く、「ゴギも放したんだげな、それから増えての」と。ゴギは獰猛な魚で小魚は勿論、蛙や小さな蛇まで食べる。むかしの小板橋の下でゴギが蛇を咥えて泳いでいるを見たときは驚いた。彼らは源流近くまで生息する、ヒラベはその下流と言った感じ。もちろん併走して泳いでいるの見たこともあるが普通は住み分けている。

この放流の成功は小板の若者にヒントを与えたらしい。小板から空城へ林道をたどると、六の谷(ロクンダニ)、中の谷(ナカノタニ)の二つの小川を渡る。空城川の上流なのだが、これには魚がいない。実はこの二つの川には中流に大きな滝があって魚の遡上を阻んでいる。鬼の木戸(オンノキド)と無名の滝だ。鬼の木戸は大規模林道の交点から山の中を1キロ下流に、川がエル字型に大きく曲がるところがある。その屈曲点が大きな滝になって滝壺が魚止りになっている。滝壺には遡上できなかった魚が群れをなしているが、何しろ深い。落下点は岩盤が大きくえぐられて奥は光が射さない暗闇、少年の頃、何度か魚とりにいって淵(滝壺)の中を水眼(水眼鏡)でのぞくとヒラベの大行進、切歯扼腕(せっしやくわん:歯ぎしりをし、腕を握りしめてくやしがること)したものだ。ここが魚切、上流にはヒラベもゴギもいなかったよし。先輩が「俺が放したんだ」と自慢していたから、あまり昔のことではなかったようだ。

私が魚突きを始めた頃は、すでに魚影はかなり濃くなっていて25センチのヒラベを取った事もあるし、5センチくらいの幼魚は数多く見た。ところが林道から500メートルほど遡るとちょっとした平場があって流れが緩やかなところがある。最初は気がつかなかったが、2度3度と入るごとに異様な雰囲気を感じるようになって、魚とりに入るのを中止した。今考えると月の輪の視線を感じていたらしい。牧場を開いて熊が来場するようになって注意して観察すると、その平場に巣穴があるようだ。何十年も昔のことを思い出して冷や汗をかいたものだ。

中の谷も空城川から分流した小川で林道に沿って1キロほど深い谷底をのぼる。並走する林道の中ほどで20メートルばかりの滝を経て穏やかな小川になる。この滝が魚切である。これも探検したことがある。水量は多くはないが落差の大きな滝には小さな滝壺があった。それが魚切。小さなヒラベが5−6匹いたのを覚えている。つい道端なのでのぞいて見たいが今では藪が繁っていて、さすがの好奇心も鈍る。この谷にも放流したというが、私は魚とりに入ったことはない。友人もヒラベがいたと話したのを聞いた記憶もないので、定着しなかったのかもしれない。

大田川は水量が多く急流で有名、水力発電に適しているとてダム建設が盛んに行われた。魚道など対策はなされたが現実には魚切が数多く出現したんだ。例えば夏の魚の鮎も戸河内では放流の鮎が全てである。自然は変わった。でも、昔は天然の宿命を乗り越えようとして努力した人がいて、小板にもヒラベもゴギもいる。釣り人は当然のように釣り上げて行くが、そんな先人の努力を少しは思いやって欲しいと思っている。

2013.10.5 見浦哲弥

posted by tetsu at 09:07| Comment(0) | 地域の歴史を語る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする